ヒーリングは為すものではなく、為されるものであり、そして何よりプロセスである

ほっとする日々|2020/04/12 posted.

ヒーリングと聞くと未だに真っ先に、超常現象の一つという感じを私は受けます。
手をかざすと人が癒える、ようなイメージ。
一瞬で「なかったことになる」「不具合が快適に変わる」ようなイメージです。

実際の「ヒーリング」とはなんなのか、これは「祝福」と同じく、私が常々理解したいと感じている言葉の一つで、本日は私が今のところ「ヒーリング」に対して感じていることを言葉にしてみたいと思います。

 

それが、ヒーリングは為す(成す)ものではなく、為されるものであり、そして何よりプロセスであるということです。

ヒーリングは誰かが誰かに施すものではなく、自然な流れや関係性の中で、為されていくもののように思います。

 

自分が辛いときには「治してもらおう」と考えます。それ自体は全然悪いことでも誤ったことでもなく、ごく自然な発想だと思います。弱っているときに、誰かに助けてほしいと思えること自体が、素晴らしいことです。しかしそれはとらえ方を変えて、ヒーリングというプロセスが開始されたと感じるほうが、より自分にパワーを取り戻すことにもなり、そして実際に行われる(為される)ことに近いのではないかと思うのです。

「治してもらいたい」「私はこうなりたい」という望みが、人を癒しに向かわせます。そこから先は、自分の内なる声に従って行動することができるか、ということがありますが、いずれにしても、開始されたプロセスはそのまま運ばれ、ヒーリングは為されていくことになると思われます。

 

では「治った」という状態がどういう状態なのかというと、身体であれば傷が癒える、痛みがなくなる、不快感が消える。心であれば自分のことを捉えて離さなかった不快な思考や感情が消える、それが自分を楽にしてくれる思考や感情に切り替わる。スピリットのレベルであれば、自分を押しとどめ続けていたエゴが、本来の自分に道を譲るというようなことが行われることだと思います。

しかし一度「治った」ら、一生治ったままかというと、そういう場合もあるし、そうではない場合もある。私たちは一生を生きる存在なので、ある地点で完全に解決したように感じられることも、私たちがそれをより高いレベルで解消することで宇宙規模で貢献したり、あるいは人類への贈り物にしたりすることが必然である場合には、再び癒されるべき状況が少し違った形でやってきて、より高いレベルでヒーリングが為されていくことになるかもしれない、と思ったりします。(どのように体験することができるかは「意識」による。)

 

要するに「プロセス」なのです。ヒーリングは常に為されていくこと。不調和も不快も小さく小さくすることは可能だけれど「何一つ問題が起こらないこと」「いつもいつでも完全完璧な心身」を、ヒーリングが為され、完全に治り、自分のやりたいことをやっていい状態とすると、きっと一生「私は治っていないから」と言うことになってしまいます。

 

かつての私はとてもそのような側面がありました。
私はとにかく動くのが苦手で、PCMモデル (Process Communication Model 。パーソナリティー診断の一種です)では、行動力の「プロモーター」がダントツの最下位でしたし、石橋を叩きすぎて精神的に追い詰められるような人なのです。

でも今は少しずつ少しずつ、動く、ことが自然になってきました。それは世界的な流れもあるし、日本の中の流れもあるし、たとえば「スピリチュアル」と呼ばれる分野が特殊な思想ではなく、人々の中にごく自然に培われてきたために自分が生きやすくなったということもあるし、自分を肯定できるような人間関係・環境が整ったということもあるし、フラワーエッセンスやボディートークと出会えたということもあるし、ダンスを続けている、ということもあります。そのすべてがヒーリングというプロセスであり、不具合や欠陥がゼロであり一生嘆かわしいことに遭遇しないことを「治った」と呼ぶのであれば、私は一生「治る」ことはないでしょう。

 

羽を休める期間は必要です。いつも動的に動き回っているだけでは、何がなんだかわからなくなってしまう。

動き回ることだけが、ヒーリングが始動するきっかけではない。けれども、もしも「私はこの状況をなんとかしよう」と感じて、その内なる衝動を行動に移したのならば、その動き自体を信頼して、ついていくことがヒーリングが自然に為されていくことの一助になると思います。

 

では施術提供者、癒やし手は「治す」ということを主体的に行っていないのであれば、一体何をしているのかというと、基本的には、相手が必要としているときにうまく巡り合うことができるように存在している、というほうがもしかしたら適切な表現なのかもしれません。ただし、プロフェッショナルとして自分の行っていることについて、あるいは人体について、あるいは生きること・癒し・幸せについて勉強を続けていて、より人に貢献できる道を考えていて、それを伝わるように表現している人、ではあろうとは思います。

そして基本は適切な方に適切なタイミングで巡り合うことで、お金を頂戴しているのだと思います。一つのセッションの裏にはその人の持ち合わせてきた資質そのものだけではなく、それを磨いてきた長い道のりと、それをヒーリング手法として落とし込んできた膨大な時間と、膨大なお金(エネルギー)と、そこまでの道に関わってきたたくさんの人々がいます。それらが総動員されて、そのとき起こるべきことを起こすスイッチを入れる。あるいは流れの中でスイッチが入る。

こう書くと「なんだ、治してくれないのか」と思われちゃいそうですし、そして実際そうなのだけれど、そう思われちゃうのも残念だなと感じる私のエゴはちゃんとあります。でもやっぱり「私が治してあげるね」という施術士を私は信頼することはできないから、まぁヒーリングは為されるものであり、私自身はそのプロセスの一端に参加させてもらうべく、日々研鑽を積むのが適切であり、妥当であろうと思うのです。ヒーリングは相互に、互いの存在を映しながらプロセスしていくものだから、私がきっかけになれることがあったとしても、やっぱり「私が」「治してあげる」ことはできないのでしょう。

 

そんなこんなで私は今日もヒーリングという言葉を理解したいと、心の端っこで思いながら生活をしています。あと10年くらいしたらちゃんともっとシンプルに言葉にすることができるだろうか。

 

ヒーリングは誰かが為すものではなく自然に為されていくものであり、それ自体がプロセスであるとともに一生プロセスされ続けるものだとすれば、私たちは皆すべからくヒーラーであると感じることもできるのではないでしょうか。ヒーリングは常に関係性(自分との対話や、周囲との交わり)の中で起こり続けている。

 

とはいえ。今日の総論としてふさわしいのかどうかはわかりませんが「つらいときには人に助けてもらいましょう」ということは書き添えたいと思います。私はこれまでたくさんたくさんの人に巡り合い、支えてもらい、学ばせてもらい、生かしてもらってきました。一方的に助けられたのではなく、私が助けてもらうことで相手のことも助けることができていたのかもしれないけれど。ともかくたくさん感謝できることに巡り合わせてもらえてきたと思います。いつも一人で抱え込んですべてを背負い込む必要はないんだよ~ということは、かつての私自身のためにも書いておきたいと思います。

 

今日もどうぞ素敵な一日を。笑顔で過ごせる日も、笑顔を忘れてしまう日も、あなたのヒーリングプロセスは常にバックグラウンドで処理され続けていることを、信頼されてみてくださいね。


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今日の画像はNickyPeによるPixabayから。