愛についてや新型コロナウイルスについて思うこと

ほっとする日々|2020/03/27 posted.

私事というか、個人的なことですが、昨日は他界した母の誕生日でした。
生きててくれたら、えーと、62歳かしら……。

母が生きてて一緒に生きられた期間と、母が他界して一緒にいられなくなった時間がおんなじになってしまいました。

「この世界で肉体という入れ物を出たら、後はずっと一緒にいられるから」という方もおられますが、実際に会って話せないこと、触れてもらえないこと、抱きしめてもらえないこと、は、ふと自覚すると気が遠くなるほど寂しいものです。

私は結構しっかり自分の意見がある人なので、特に職場などでは「こうしたらいいのになぁ」が出てきてしまうことがままあります。友人間ではあんまりないのだけれど……。
意見を言える立場ではない場合、言いたくなるのを我慢するのがイヤで該当の方とは距離をとってしまいがち。

どんな人でも、この世界に一緒にいられる時間は一瞬。もっとハートを開いてコミュニケーションをとっていかねばなぁと思います。

この「ねば」は義務として、というよりも、そのほうがもっと楽だよという自分からの呼びかけ、です。

 

新型コロナウイルスが猛威を振るっているようです。

今の時期は多くの方が内側に大変な恐怖を抱えていると思います。
人といるとき、一人でいるとき、どれだけ平気なフリをしていても、内側では「今の振舞いが正しいのかどうか」や「先への不安感」が底流で渦巻いていることと思われます。これまで生きてきた中で抱いて、でも出すわけにはいかなかった恐怖が「いまこそいまこそ」と気づいてもらおうとしているところもあるかもしれない。

新型コロナウイルスが人類に見せている状況は、私たち人間が動植物に対してやってきたことのほんの一端であるようにも思われます。
地球に生きる多くの生命にとっては、人間の進化こそが生命の脅威、という図式がずっと続いてきました。

けれど、それも方向転換しなくてはいけない。今のとても若い人たちは自然にその意識をもっているし、人間には開けた知性が備わっているから、より「生命」として和して生きる道を主体的に選択する道もあると思います。

イベントが中止になった、楽しみにしていたことができなくなったと嘆き、文句を言いたくもなるかもしれないけれど、世界では常に何万人の人々が飢餓で亡くなっている。森林はものすごい勢いで失われ、そこに住まう生命は移動または死を余儀なくされ続けている。

私たちは「今、自分が苦しい」ということに殊更のフォーカスを当てないでは生きていけないように基本的にはできていますが、この期間に「地球の一員としての自分」や、「つながった存在としての自分」という意識を育むこともまた、人類として進むべきベクトルの一つ、特に先進国と呼ばれる国で平均以上の豊かさを享受している人たちが目覚めるべき方向の一つような気もしています。


一方で医療現場の方の現状、特に新型コロナウイルスが猛威を振るい、医療崩壊を起こしている地域の医療現場を想うと悲しく、心配の気持ちでたまらなくなったりします。彼女ら、彼らが自分の生活を安心して営める日が一刻も早くきますようにと……願ったりするだけではと思うこともあるけれど……。遠くから自分ができること……人によって違うかもしれないけれど、せめて心配を送るのではなく、愛や光や安心が届くように意図することと、何よりもまず自分が安定して自分の今を生きる必要はあろうかと思います。自分が揺らいでいる状態で「人助け」なるものはうまくいきません。

 

自分の中の恐怖を押し殺したり、飼い慣らしたりすることは、きっと得策ではありません。恐れに「気づいて」、今はそれを出すべきではないと判断して、それである別の行動や振舞いをする分にはまだいいかもしれませんが、本当に「気づく」ことができる人のほうが少ないと思います。

新型コロナウイルスの猛威が去ったあと、大好きなイベントなどで大好きな人たちと大声で笑ったりすれば、その恐怖は天高く昇華されるかもしれない。けれどその前に自分自身でできるケアとしては「自分が今抱えている恐怖は正当なものであり、感じてはいけないものではない」ということに対してオープンになることと、大好きな人たちや地球との繋がりを思い出すこと。つまり、愛に対して開いていることだろうと思います。もっというと自分から愛を照射していることだろうと思います。

 

愛は尽きることがないので、恐怖で塗りつぶされてしまうこともありません。というより、恐怖は愛の一つの側面です。恐怖は愛から生まれる。恐れは「守りたいものが守れないかもしれない」という気持ちです。守りたいものが何もない人は恐怖を覚えることがありません。

自分の存在のベースは愛であり、恐怖もその一員で、だから否定されるべきものではなく、恐れもまた再び愛の愛なる側面に戻ることができると知っているなら、自分という存在も、今の振舞いや先への不安も、もっと愛おしいものとしてとらえることができると思います。なんといってもそれは命あるものが抱くことができる豊かな感情の一つです。

感受性が高く、スポンジのように周りの方の恐怖を吸い上げてしまっている方、かなりのご負担がかかっていることと思います。具体的にとるといい行動は人によってかなり異なることと思いますが、私は大きく2パターンに分かれると思うので書いてみます。

まず一つ目です。一人の時間をとって、自分自身と自分ではないものを意識的にきちんと切り離してください。できれば浄化グッズなどを使い、出て行くべきものをその場で浄化しつつ、終わったと思ったら窓を開けて一気に外に出すといいと思います。(エネルギーは意図に従います。)その後、温かいお風呂にお塩を……結構大量にがばっと一掴み以上入れて、自分の身体が内側からほっとしたと感じるまで入られるといいと思います。

その後はご自分の静かな喜びでも、この先の楽しいことでも何でも、自分のしたいことを計画したり、ご趣味を楽しむ時間を持ってください。騒ぎたい気持ちならば、家族に手伝ってもらって、あるいはオンラインでも人とつながることは十分に可能ですから、大好きな人と一緒の時間を過ごしたりしてください。

 

2パターン目は、自分の内側にあまりにも大きいものを発見してしまいそうで、それを見ると足場が揺らいでしまうような気がする場合。これはまずは楽しいことで自分を安心させるほうが先です。できれば頑丈で勇敢で、あなたから見て「頼りになる」方と一緒に過ごして、その方の安定感を分けてもらってください。その人から出ている愛をたくさん受けてください。その方も恐れを感じていないわけではないと思います。それでも他者に十分に愛を回せる方がいます。きっとあなたのまわりにはそのような方がいると思います。宇宙の采配はいつも完璧です。

楽しい時間を過ごした後、自分が十分に安定している状態で、自分の内側の感情を少しずつ感じてみます。もし揺らぎそうな気がしたらやめてOK。無理をする必要はありません。感情にはみな解放されるべきタイミングがあります。つらさを感じることのない範囲で行ってください。「もう少し外に出て行ってほしいけど、こわい」と感じたら、先程充電して繋がった「愛」や「楽しさ」が自分の本質であることに対してOKを出しつつ、信頼をもって進めてください。

いずれにしても、あなたが壊れてしまうようなことはありません。感情は本当にすべて、愛からできています。

大丈夫!なので、どうぞ今日もあなたはあなたの一日を大切にしてください。
そしてまわりにいてくださる方と、愛のエネルギーを交わして過ごすことができますように。

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