生命の宿るクリエイション

つれづれ|2020/01/12 posted.

昨日は急に、「ゴッホ展に行こう!」と思い立ち、上野に行ってきました。

しかし!軽く見ても300人、いやもっとかな?並んでいたので、それは早々に諦めまして(^-^;
近くの喫茶店に入り、ひたすらノートに脳内事項の書き出しをし続けてきました。

3時間くらい今考えていることや、これからのことなどを掘り下げていたのですが、結局最後に受けとったメッセージは

「考えることはいいことですが、それに縛られてはいけません。考えることは戦いの世界で行われていますが、考えることを別の次元で行うことも可能です。それがすなわち、感じて味わい、魅力を開花させていく世界です。あなたはその守り手でいることが重要です。」ってことだったんです。

で、これが私をすごくほっとさせてくれて、自分の存在やエネルギーが解放する感じを覚えるものだったので、書き出した数多の思考よりもずっと本質に近い部分なんだろうと思ったんですね。
思考の世界だけで存在していると、どこか空虚な感じがするのは、この自分の奥底で大事にしている信念に反することになるからだろうと。

 

思考することは大切です。それがなければ、生み出されたものは維持されない。育まれない。
でもやっぱり思考は私の本質ではない。生みだされたものに生命が宿っているためには、子宮かハートからのクリエイションが必要なんだなぁと思った次第です。

思考だけから、つまり利害関係とか、すべてに説明が先行してしまうようなところから生み出されたものには、安心して関われるという「存在そのもの」のポテンシャルがないように思われます。

 

今は一億総発信社会で、誰もかれもが何か言いたかったり、自分のことを知ってもらう必要性を感じていたり、もっともっとの社会です。私もある程度はそう。伝えたいことがいっぱいあるから、ずっとブログ書いているのだもの。

まるで獲得意識やハングリー精神ばかりが社会的成功に必須のように見えたりもしますが、今はもう、もっと望まれているのは生命の宿る安心できる場・コミュニティーであったり、それに関わることでこちらが元気を与えてもらえてしまうものであったりで、それはやはり子宮から、あるいはハートから生み出されたクリエイションにしかないものだろうと思います。

結局のところ、子宮もハートも頭もすべてを総動員しないことには、その生命を育むことはできないということも確かだけれども。
ついつい考えるということが先行してしまったり、重用されたりする世の中で、自分がどこから生み出しているのかは、少し注意しておきたいなと思った次第です。

 

かといって私の考え尽した3時間が無駄だっということは全然なくて、それがあってこそ「ほんとう」まで潜っていけるというその時間だったと思います(*^-^*) 現代人は頭の中がいっぱいだから、それを空っぽにしないと、なかなかその奥まで見えないですねぇ。


魂が躍るような感触を味わいながら進めますように。

今日も素敵な一日を。
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